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久米豊(日産元社長)の生い立ち…業績がすごかった!? [ニュース]

日産自動車元社長・会長で、経団連副会長も務めた久米豊(くめ・ゆたか)さんが

9月10日、胃がんのため横浜市内の病院でお亡くなりになりました。

93歳でした。

そんな久米豊さんの日産との生い立ち・・・そして業績について

まとめてみました。


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プロフィール・生い立ち

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久米 豊(くめ ゆたか)

1921年(大正10年)5月20日 ~ 2014年(平成26年)9月10日)

事業家、元日産自動車社長、元日本自動車工業会会長。

出身地は東京都。

1946年に日産自動車に入社し、

座間工場工務部長・吉原工場長などを歴任してきました。

1973年に代表取締役に、

1977年に代表取締役常務、

1982年に代表取締役専務就任、

1983年に代表取締役副社長就任、

そして1985年に代表取締役社長就任に就任しました。

その後は、1990年日本自動車工業会会長就任し

1992年に日産自動車会長・経団連副会長就任。

そして、2014年9月10日に 胃がんのためお亡くなりになりました。

日産に一生を使った久米豊さん。

そんな彼と日産の業績はどうっだったのでしょうか??

業績は!?

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技術で、「技術の日産」と評されていて親しまれていた日産ですが、

戦後、有力なディーラーの大半がトヨタ自動車に組織化され、

販売力で敗けてしまい、

マーケティングと販売戦略で業界トップとなったトヨタ自動車には及ばず、

1970年代までトヨタに肉薄していた日産の販売シェアは、

特に1980年代以降、その差が広がっていったそうです。

久米豊さんが社長に就任した1980年代後半のバブル景気時代に、

高級セダン「シーマ」やクーペ「シルビア(5代目)」を発売し、ヒット車になった。

「Be-1効果」や「シーマ現象」と言われる言葉は流行語にも選ばれたそうです。

R32型スカイラインなどのスポーツ系車種をはじめP10型プリメーラなどの

セダン系車種なども高い評価を得ていました。

久米豊さんの社長時代は輝かしい業績を残していたようです。

しかし、社長を退いた後、販売不振に陥ってしまった。

一時期はホンダに敗け、国内シェア第3位に転落してしまった時期がありましたが

現在は、また2位に返り咲いているようです。


久米豊さんが社長を務めた時代は、バブル時代とも重なって、

かなり業績が伸びた運を味方につけたような業績でしたね。

しかし、これも日産に一生を注いだ久米豊さんの実力ではないでしょうかね。

流行語にまで選ばれ、社長を退いた後も、相談役として、活躍していたようです。




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